自己紹介ブログ《人生を変えた交換日記編》
成人式も終わり、ひと段落です(^ω^)
前回、前々回に続き、ナギサの自己紹介・・というか
これまでの生い立ちですw
前回のブログにも書きましたとおり
幼少期は喘息に悩まされてました。
それもあり、さらに空気のきれいな
今の実家に引っ越してきました
今度は学校に一番近い所に住んでて
寝坊してもダッシュでつくし
帰り道に友達が寄り道して
ゲームしてから帰宅する
という、学校の近場あるあるな日常でした
ただ、卒業間近に女子特有のゴタゴタがあり
1冊の交換日記が原因で
日記とは関係のない全女子からも
シカトされる事になりました
私が記憶してるのは、
好きだった男子と別の子が仲良くて
嫉妬心からか私がその子の悪口
書いてたんと思うんですよねww
それを晒されて、放課後に・・・
今の小学生事情を聞いてても、
『交換日記禁止令』のある学校があるくらいだから
女子小学生あるあるなんでしょうね
私もアホだったんですよ、その頃は。
それが原因で卒業前に孤立。
所謂イジメってのの始まりでした。
そして、権威を嫌い、群れを嫌うw
大門美智子のような性格もこの時から
芽生えてきましたwww
そのまま中学に上がり、
他の小学校の子達と仲良くなればいっか♫
と思ってたら、ほぼ全生徒からのシカトwwww
なんか物が無くなったり、暴言書かれたり、etc...
罰ゲーム告りの対象にもなってて、
嫌々告りにきた男子がいたこと・・・
覚えてますww
今の時代、LINEでわざと告白して
『え?お前何本気にしてんの?晒すぞww』
なんていうイジメがあるらしいですね。
まぁ、今の時代のネット・SNSイジメに比べたら私のなんて
全然チョロイいもんかと思いますが、
流石に1年の2学期のころだったか
登校拒否を始めまして。。。
その時父は、学校に行きたがらない理由を
あまり深くは聞いてきませんでした。
このときから、
『人の悪口は何も生まない』
『人のいいところを見つけるようにしよう』
と、心がけましたし、実体験をもとに
子供たちにもそう伝えています。
そして、当時父が言った忘れられない一言が
私の人生を変えました
『なんでもいいから1番になれ。
そしたら、そのうちみんながお前を
頼りにしてくれる時が来る。
だから、今はとりあえず俺が課題を与える
勉強で何か1教科でもいいから
1番になる努力をしろ。』
そう言われてからとりあえず勉強と
好きだった吹奏楽部での時間のために
少しずつ学校に行くようになりました。
全員シカトは長く続きましたが、
2年で先輩に声をかけてもらってダンスを始めて
3年で劇団が結成され、演劇の世界にも飛び込んでみたりと
同級生とぎこちない関係はありつつも
いつの間にか気にならない状態になってました。
一生懸命になれる何かがあったから
周りのことを気にする時間がもったいなかったんです
このキツイ時期があったからこその
今の自分があって、いい経験だったなと
思えるからこそ、同級生に会うのも苦ではありませんし
多分、私以外は20年も前のことですから
このことすら記憶にないかと思いますw
そう思うと私って、、、
根に持つタイプなのか!?wwww
いえいえ、根には持ってませんw
今じゃ同窓会でも楽しいお酒が飲めるから
笑い話くらいでいいんです
そして《逃げる(休む)》という選択肢があったから
一番悲しい自殺という選択は
免がれたのかもしれません。
その当時、文通(見知らぬ人と手紙交換)というものがあり
文通仲間がいたから良かったのかもしれません。
今でもその子とは友達です。
携帯も中3で持つようになり
当時モノクロの画面で、ネットに繋ぎ
メル友とやらも見つけていました
太郎って男の子と仲良くなりましたw事実w
中高生が、ネットで知り合った人と出会う
ということに不信感を持たずに会うという感覚は
当時の私を思い返すと非常にわかりますw
自分の娘がそんなことしたらと思うと
恐ろしいですが、使い方と相手次第です。
私も沢山救われました。
どうしても、学校にいると
そこだけの世界が全てに思えてしまってたのですが
外の世界に出る事が大事なんだと思います
今は色んな分野で、選択肢も増えていて
何歳からでも活躍する場が
作りやすい時代になっていていいなと思います。
だいぶ話が膨らんできちゃいましたが
私の人生の一つ目のターニングポイントは
「小学校卒業前からのイジメ」でした。
次回、二つ目のターニングポイントは
「高校の恋愛事情」です(笑)
ではまたヽ(´▽`)/
LOVE&SMILE
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